■- 報告 − パトリシア・シェリー女史クリニカルプレースメント及び2005年度IBITA AGM会議に参加して

平成17年9月  山梨温泉病院 理学療法士 伊藤 克浩

 9月2日からイギリスのリーズでボバースの国際会議があって出かけた。いずれボバースジャナルから正式に報告の依頼があるかもしれないが、ここには紀行文として綴ってみる。
 9月2日、午前中に大阪に向けて出発した。出かける前にイギリスが今寒いのかどうかメールで確認しておけば良かったな、と思ったがとりあえず上着を一枚持って行くことにした。 前日に出発したのには二つ理由があった。ひとつは翌日の関空発ヒースロー行きの便が午前中に出発すること、そして来年の日本ボバース研究会全国研修会の会場を下見してお かなければならなかったからだ。全国研修会は今のところ大阪と東京で交互開催しているが、大阪会場には毎年悩まされる。800人収容クラスの会場が一年前にしか予約できない ところが多いのに電話で争奪戦という状態だからだ。もっと大きなグランキューブなどは比較的前から予約できるが3年先までいっぱいの状態だ。今年はとりあえず新規開拓で交通 の便も良いと言うことで新大阪駅すぐそばのワシントンホテルプラザ内にあるイベントホール「レ・ルミエール」という所を予約した。

 新大阪に着いたのは3時頃だった。会場は新大阪駅の中央口から出てまっすぐ行くとすぐにあった。エスカレーターで2階に上がると会場らしきところがあってエコーの研究会が行 われていた。管理会社の人にアポを取っていたので挨拶して案内してもらった。その日は分割して使われていたので二つ併せて使用したときの広さのイメージはつかみかねたが、ま あ許容範囲だろう。エントランスの狭さが気になったが他に選択肢があるわけでもない。挨拶をしてその日の宿泊先「ホテルニューオオサカ」に向かうことにした。

 ホテルニューオオサカはビジネスホテルで、じゃらんネットで確保したホテルだったが、地図で見たよりもワシントンホテルプラザに近い。道を挟んで反対に位置している。値段も6千 円弱(じゃらんネットプランにより)だったし、来年の全国研修会の時にも会員に紹介できると思った。ホテルで一休みした後、夕食に出かけた。新大阪の地下鉄のガードをくぐると二軒 ほど居酒屋があったが、私は大阪の「どて焼き(牛すじのみそ煮込み)」が好きなのでそれが置いてありそうな店を選んで入り、夕食をすませた。日本食はしばらく食べられそうにない ので刺身やイギリスで食べられそうもないものを選んで食べた。

 ホテルにもどり、うとうとしていると大槻氏(諏訪赤十字病院理学療法士)がホテルに到着したのでお酒を飲みに出かけた。明日からのこと、来年度の医療保険改訂のことなど話して いるうちに夜は更け、ホテルに戻って床についた。



9月3日、朝起きて関空特急「はるか」に新大阪駅から乗り込み関空に向かった。関西空港は初めて利用したが成田に比べると使い勝手がよい。電車からのアクセスも良いし、海上 空港ならではの開放感と爽快感が感じられた。大槻氏とまずはスーツケースを取りに運送カウンターに向かった。毎年国際会議で成田を使っていたが今回始めてスーツケースを先 に空港に送った。二千円程度かかるがあの大きな荷物を引きずって歩くことを考えると安い出費だった。

 荷物を受け取った後、同行者の中井女史(ボバース記念病院理事)と森田女史(ボバース記念病院作業療法士)、そして紀伊氏(ボバース記念病院名誉副院長 理学療法士)と合 流してチェックインを済ませた。その後、予約しておいたFOMA(携帯電話)をDocomoのカウンターで借りた。FOMAのワールドウイングサービスはFOMAカードを差し替えるだけでその ままの電話番号とメールアドレスが使えるので便利だ。(ちなみにiモードで予約しておくとレンタル料も安くなるし手続きが簡単で便利です。)

 チェックイン後、まだ時間があったがとりあえず出国審査をして出発ゲートに入った。お土産などを買って飛行機に乗り込んだが、チェックイン時に指定していた通路側席でないこと が判明、長い旅になりそうだ。

 イギリスに向けてテイクオフ。やはり満席で窮屈だ。救いはJALの国際線はエコノミーでもテレビが各席についていて映画が見られること、到着までに5本の映画を見た。ヨーロッパ は何回訪れてもこの飛行機の長旅がつらい。



9月3日、11時間半のフライトを終えヒースロー空港に着いた。入国手続きはテロがあったにも関わらず比較的スムーズに済んだ。荷物を受け取ってタクシーに乗り込み4人でそ の日の宿泊先ハイストリート・ケンジントン駅近くのコプーソン・タラというホテルに向かった。イギリスは車が左走行車線で右ハンドル、風景も建物以外特別な感じはしなかったが、 タクシーの構造上後ろ向きの席に座ったのがまずかった。時差ボケと車酔いであたまがグラグラした。(日本とイギリスの時差は−8時間)



 ホテルは比較的モダンな作りで快適だった。チェックインを済ませると4人で食事に出かけた。ケンジントンの裏通りはやはりレンガ造りのロンドンらしい古風な町並み、だが表 通りはお店の建ち並ぶ都会であり、たくさんのダブルデッカー(二階建てバス)が走っていた。こういう町並みでテロがあったのかなとふと思った。しばらく歩いてレストランを探した。 初日の夕食はイタリアンにした。パスタはおいしかったがビールがあまり冷えていない。イタリアもドイツもそうだったがジョッキを凍らせてキンキンに冷やした生ビールを飲むのは 日本人だけなのだろうか・・。
 その日は時差ぼけもあって解散し、翌日の唯一の半日観光に備えて寝ることにした。

 9月4日(日)、朝から朝食を済ませ街に出た。イギリスの朝食はどこでもそうだったがサラダなどの野菜類がない。街に出ると比較的暖かかった。後半にリーズで上着無しでは 過ごせない寒さを経験したのでこの日のロンドンの暖かさはありがたかった。後日、パティ(パトリシア・シェリー女史)に聞いたが今年は例年にない暖かい9月だったとのこと。



 ハイストリート・ケンジントン駅からサークルラインに乗り、ベーカーストリートでメトロポリタンラインに乗り込みフィンチェリーロード駅で降りた。ロンドンを観光するなら一日フリー チケットが便利だ。ロンドンの地下鉄を何度でも乗降車できるチケットである。行ける範囲で値段が違うが5ポンド(千円程度:路線図http://www.ryoko.info/rosen/train/data/london.html) で大まかな観光地を回ることができる。



 フィンチェリーロード駅で降りた。ここで降りたのは旧ロンドンボバースセンターを訪れるためだ。日本にボバースコンセプトを伝えた紀伊氏とここを訪れることができるのには 特別な思いがある。センターは70年以上前にボバース夫妻が脳性麻痺をお持ちの方、そして片麻痺をお持ちになられた成人の方々に対して神経学に基づいた新しいリハビリ テーションを始められた発祥の地である。センターを訪れた後は夫妻が住んでいたアパートを訪ねた。



 午後からは電車で大槻氏とパティのクリニックのあるノッティンガムまで移動しなければならないのでホテルに戻った。ホテルに戻る途中、ベーカーストリートで下車して昼食を 取った。ベーカーストリートはシャーロックホームズゆかりの地で駅の出口の前に銅像があった。



 ホテルで紀伊氏らと分かれて二人でキングスクロス駅に出直した。キングスクロス駅はニュースで話題になったテロが起きた舞台の中心地であったが今はもう落ち着きを取り 戻しており、警官の姿もあまり目に付くことはなかった。ロンドンから北に向かう電車にはセントパンクラス駅から乗り込むことになる。外観が見事な駅だったが工事中で裏の仮 駅舎に向かうことになった。ノッティンガムまでは電車で2時間40ポンド、東京−諏訪間程度の距離にしては少し高い。

 ノッティンガムに着いてパティに大槻氏が電話をして迎えに来てもらった。数分後、長男のクリストファー君と二人で迎えに来てくれたパティと久しぶりの再開を喜び合った。 パティの車で彼女のクリニックに移動。彼女のクリニックはノッティンガム市内からは少し離れた郊外にあり、ゲストルームを備えている。ここで3日間大槻氏と二人でパティの クリニカルプレースメント(臨床研修)を受けることになる。



9月4日 パティのクリニック到着。  ゲストハウスは二階建で一階はベッドルーム、二階はリビングになっていた。今回は二人が宿泊するので私は二階に簡易ベッドを広げて過ごすことになった。荷物をひもとい てしばし休憩。しばらくしてパティが迎えに来てくれた。パティの自宅に夕食を招待された。

 パティは家族4人とゴールデンレトリーバーと暮らしている。イギリスではひとつのお皿に野菜や豆、魚などを乗せて食べるのが一般的のようだ。日本人にとっては少し薄味だ が素材の味が生きたおいしい夕食をごちそうになった。

 翌日は朝から大槻氏と二人でパティのクリニックでクリニカルプレースメントを受けた。パティのクリニックは普段フェザー女史とパティの旦那さんであるラルフが事務局として 運営されているプライベートクリニックである。協力頂いた症例について詳しく書くことはできないがほとんどの症例が自分の身体の問題点やアライメントについてよく知っておら れる。その中でも三日間通して印象深かった症例はミセス・ボバースにも治療を受けたことがある方で、治療を手伝わせていただいて「あなたは良い手を持っているね」と言わ れたのが非常に嬉しかった。一日目の夕方には私自身も治療して頂いた。

 9月6日の夕方、ノッティンガムに紀伊氏が到着するのでラルフと車で迎えに行った。紀伊氏らは来年4月に開業する森ノ宮病院の開業記念式典にボバースセンターの方を 招待するということでロンドンに滞在していたが責務を終え、紀伊氏だけ我々と合流するためにノッティンガムに来られたのだ。紀伊氏とホテルで待ち合わせパティのクリニック に戻った。

 我々のお世話になっているゲストハウスで休んでもらった後、紀伊氏もパティの治療を受けた。言い忘れたがパティは身体のアライメント不良や姿勢緊張を調整することで、 呼吸や循環、そして内臓の働きまで変化させる能力を持っている。そして、セラピストも長く仕事を続けるためにお互いが治療し合うことを推奨しているのだ。恥ずかしながら私 は膵臓の働きが弱い二型の糖尿病を患っており、パティが言うには胸郭のアライメント不良から横隔膜の動きに問題があり、膵臓が圧迫されているのが問題ではないかという ことで治療を受けた。

 紀伊氏は4、5年前から呼吸器系と耳鼻科系にやや問題があり、昨年日本でパティの治療を受けてかなり改善し、久しぶりに海外での仕事に復帰されたのだが、やはり今回 また治療を受けてさらに体調が良くなったと言われていた。

 その日は紀伊氏もパティの家に招待され、家族と団らんした後夕食をいただいた。



9月7日パティのクリニック最終日。  ノティンガム市内のホテルから紀伊氏がタクシーで到着され、その日のクリニカルプレースメントが始まった。朝一番は紀伊氏の治療の続きで、その日は普段の治療姿勢の アライメントを調整すると言うことで正座で治療を開始された。紀伊氏は子供の治療を中心に行われているのでマット上に正座で座られることが多い。パティが言うにはその姿 勢を修正する必要があるようだ。

 紀伊氏の治療が終わり、我々はさらに3、4人治療を継続した。その後、紀伊氏とパティはシニアインストラクターの会議が翌日早朝からあるのでリーズにパティの車で向かう ことになっていた。お二人を送り出した後、大槻氏とクリニカルプレースメントの記録を書いたり振り返ったりしながら時間を過ごした。夕方7時にラルフが迎えに来たので夕食に 出かけた。その日はパティ以外の家族と5人でピザを食べた。翌日、午前は移動のみだったのでビールが進んだが荷物をまとめたりしなければならなかったのできりの良いと ころでゲストハウスに戻ることにした。

 9月8日、リーズへの移動。朝10時にタクシーを呼んでもらっていたが、二人とも早く目が覚めて近所を散歩した。ノッティンガムの郊外は丘陵地帯で遠くまで良く家々が見えた。 この地方は土壌の問題で麦などが育たないらしい。あたりは牧草地帯で普通に羊や牛が歩いているのどかな場所だった。

 タクシーが来る前にフェザーとラルフに挨拶をすませることにした。今回は本当にラルフ達にお世話になった。家族以外にこんなに親切にしてもらったことがあったかな?と考 えてしまうぐらいだ。是非家族で日本に遊びに来て欲しいことを伝えてお別れをした。



 タクシーを使うことにしたのは荷物が多いことと、電車賃が高いこと、そして電車だと何回か乗り継がなければいけないからだ。タクシー代は二人で100ポンド(2万円)だったが、 リーズのIBITAAGM会場へも迷わず着けたので良かったと思う。会場となるデボンシャーホールには昼前についた。久しぶりに合うメンバーの人たちと挨拶をし、ホテルへのチェ ックインと参加手続きを済ませた。

 ホテルで一休みした後、初日のプログラムとなるワークショップに参加した。私と渕さんは「アウトカム」をテーマにしたワークショップに参加した。数量化についてデンマークの インストラクター達と議論をしたが、外国では基礎講習会の2週目と3週目の間(約2ヶ月間)に受講生にアウトカムについての宿題を出しているところもあると聞いて驚いた。



 その後、夕方から今回の主催者BBTA(イギリスのインストラクターグループ)による歓迎のレセプションが始まった。おおまかなヨーロッパメンバーも揃いワインで乾杯をした後、 イギリスの楽団による演奏と地元の民族衣装を着たダンサーの踊りで歓迎された。

 一段落して大槻氏と渕さんと三人で少し下ったところにあるバーにビールを飲みに出かけた。バーには地元のリーズ大学の学生が数多くいて日本に興味があるという人たちと 立ち話をしながら楽しむことができた。イギリスのバーは日本で言うスポーツバーの様な作りであるが、やはり家具や照明などがアンティークで趣がある。



9月9日IBITA AGM 開始。朝から会議が始まった。新しいインストラクターと候補者が承認された後さまざまな議題が討議された。言葉の定義やネーミングについても議論されたが、 英語の解釈の違いや国の事情によって議論が飛び交った。大きな所では基礎講習会のタイトルが「成人片麻痺の・・」となってるのは幅が狭いので「神経障害を持った成人の・・」と 変更する等の議論が行われた。そして全ての動議が終わり、来年のスペインバルセロナと翌年のオーストラリアのAGMについて紹介された。

 その日は夕方からリーズの中世鎧博物館に出かけた。会場には中世の鎧や長い槍が展示してありヨーロッパの歴史を感じることができた。会場の真ん中に木でできた柵があ ったので何だろうと思っていたら、鎧を着た二人が出てきて戦うショーが行われた。体中鎧にまとわれているのでどうやって攻撃するのかと思っていたら、説明ではやはりすき間 をねらって険で刺すか、険の柄の部分で殴るらしい。やはり日本の武道に比べると荒々しい感じがする。その後、ディナー会場に移動。各国のメンバーが固まらないようあらかじ め席が決まっていた。私の隣にはドイツのシニアインストラクターの方が座られ、ドイツの事情を聞くことができた。ドイツには50人近い基礎講習会インストラクターが在籍するらしい。  その後はディスコタイム。ヨーロッパの人は夜遅くまで踊るのが好きなようだ。2年前のスイス国際会議の時も1時過ぎまで付き合うことになったのを思い出す。日本のメンバー のうち若い(?)3人、伊藤・石田・渕は最後まで付き合った。12時にはバスで宿舎に戻った。

9月10日、教育セッション  その日は朝から教育セッションが開催され、Ray Tallis教授の講演、マーガレット・メイストン女史の講演、そしてBBTAグループの発表などが行われた。最後に会員同士でボ バースコンセプトをneurorehabilitation based on Bobath Conceptと総称するアイデアはどうかという投げかけがあり、活発な議論が行われた。

 夕方には全てのプログラムが終了、各国のメンバーとお別れの挨拶をすませ、私と大槻氏、そして紀伊氏はリーズ市内のホテルに移動した。駅前のガーデンプラザというモ ダンなホテルだ。正直なところディボンシャーホールの宿泊施設はテレビも冷蔵庫も無く、共同トイレ、共同シャワーだったのでイギリス最後の夜に別のホテルを確保しておい て正解だった。ホテルへは3人でタクシーを使って移動、その後、石田さん、渕さんが買い物をしている間に古澤氏と大槻氏と3人で町のバーに出かけて会議を振り返った。 ホテルの周辺はショッピングプラザ等たくさんのお店があったが夕方6時には閉店となるらしい。お土産をスーパーで買う予定だったのでちょっと残念。また、そんな地域なの でバーは路地裏のちょっと危なそうな場所にしかなかった。

 しばらくしてホテルに戻ってみると、案の定買い物をできずにロビーで石田さん、渕さんの二人が待っていた。紀伊氏も合流し中華料理店で夕食をとった。中華にしては珍し く、定額食べ放題のお店で満腹になった。久しぶりに日本米に近い米を食べる事ができた。ホテルのロビーでワインを注文し参加メンバーでの最後の団らんを過ごした。窓の 外はリーズ大学の学園祭らしく仮装をした若い男女が大勢行きかっていた。翌日からは古澤氏、渕さん、森田女史(ロンドンから合流)の三人はニューキャッスルで行われる 上級講習会に参加する予定だ。そんな話や日本での講習会の話、そして今後のインストラクター候補者のトレーニング予定について話したりしながら夜は更けていった。

9月11日、ヒースローでトランジットし日本へ
 翌日三人(紀伊・大槻・伊藤)はタクシーでリーズ空港に向かった。今回は大きめのタクシーを頼んでおいたので全員前向きで乗れた。リーズ空港は畑の真ん中にありホテル からは30分程度だった。空港には石田さんもいた。帰りにドイツでゲリンデ・ハッセ女史のヒューマンムーブメントコースを見学すると言うことのようだ。また、他の外国のメンバ ーもこの日に帰国するらしく空港で何人かと会うことができた。  ヒースローまでの飛行機は3人がけの細長い飛行機だった。揺れそうでちょっと恐ろしかったがジェットだったのでそれほどでもなかった。ヒースローに着いて国際線のターミ ナルに移動する最中に森田女史とすれ違い、中井女史の場所を聞くことができた。中井女史にはJALのカウンター前で会うことができた。トランジットに6時間近くあったので 我々は荷物を預けて観光か買い物に行くつもりだったが、JALのカウンターは3時まで開かないとのこと。しかたなくスーツケースを持ったままカフェに入った。